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運動会(今は体育会と呼ぶそうです)
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- 2009/05/24(Sun) -
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車検完了
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- 2009/05/16(Sat) -
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5ヶ月
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- 2009/05/14(Thu) -
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![]() 我が家に来たときよりも、かなり鼻が伸びてきました。 歯も抜けてます。でも、あいかわらず食は細い。 ウ○チが出そうになると、狂ったように走り回ります。 散歩も少しずつできるようになりました。 まだまだ悪戯っ子ですが、見ているだけで飽きない存在です。 --*--*--*--*--*--*-- よく訪問しているブログ(隠れファンなんです)で 竹内まりやさんの「人生の扉」という唄が紹介されていました。 〜気が付いたら50を過ぎた私がいた。 信じられない速さで時が過ぎると知った。〜 GWに久しぶりに家族が集まりました。 小さい頃からみんなで過ごした家、今はそれぞれの家庭。 昔と違うことと言えば、祖母、父がそこには居ないこと。 よく考えてみれば、人生の半分はもう過ぎてしまったかも。 そう、信じられないくらいの速さで時は過ぎている。 いい唄に出会いました。 是非、皆さんも聞いてみてください。 人生の扉 歌詞 |
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不屈のドラマ
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- 2009/05/09(Sat) -
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世紀の難工事に挑む、瀬戸大橋を作り上げた男達の不屈のドラマ(DVD)を見ました。
昭和30年、瀬戸内海で修学旅行生を乗せた連絡船、紫雲丸が沈没事故を起こし、 100人近い子供たちが亡くなったそうです。 それから、瀬戸内海に橋をかけてほしい、と四国各地から切実な声が巻き起こりました。 昭和45年に国は瀬戸内海に橋を架けることを決め、プロジェクトのリーダーとして 杉田秀夫氏を迎えたのです。調査当日、杉田氏は潜水スーツに自ら率先して着替え 海に飛び込み、海底調査を行いました。 そのとき、瀬戸内の海を知り尽くした人間が必要だと確信し、メンバーに加えたのが、 昭和30年の紫雲丸の沈没事故で、沈んだ船、遺体を引き揚げた潜水夫、飯島靖郎氏でした。 オイルショックの影響から計画が中止、5,000人集まったメンバーも35人だけ残され 調査や準備を行い、昭和53年にプロジェクト再開がとなります。 それから橋の土台(ケーソン)を組み上げるまでの苦悩と 「男が惚れる男」と呼ばれた杉田秀夫氏の生き様が語られて行きます。 (これから、この本やDVDを見る方も居られるので、内容はこれくらいにしておきます) 昭和63年、10年の歳月をかけて完成した橋を10万人の人たちが橋を歩いて渡ったそうです。 その中には、紫雲丸沈没事故で失った我が子の写真を抱きながら歩くご両親の姿もあったそうです。 今年のゴールデンウィーク、ETC割引もあってたくさんの人たちがこの瀬戸大橋を渡ったと思います。 このすばらしい橋を作り上げるために、熱い情熱を持ち、使命感に燃え、 プロのとしてあらゆる障害を乗り越えてプロジェクトを成功に導いた男達が居たということを 思い出しながら、いつかここを走ってみたいですね。 |
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お祝い事
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- 2009/05/07(Thu) -
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![]() 田舎のお祝い事は、もう大変。 朝の7時に起きて、夜の12時まで続くのです・・・ でも、久しぶりにみんなが集まり楽しい時間を過ごせました。 感動的な式、いろんなことを考えさせられました。ありがとう。 これから、よろしくお願いします。 ![]() |
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