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佐世保方面ツーリング №4(無窮洞)

 └ CB ツーリング
10 /21 2009


第二次世界大戦(1943年)のさなか、当時の宮小学校(国民学校)の生徒約500人が
2年をかけて掘ったという防空壕、
建造を計画した当時の校長が“無限”“終わりのないさま”という意味から無窮洞と名づけました。
中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ、
避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、
トイレや炊事場、食料倉庫などもきれいに作り上げられています。
最初の部屋には作業風景のモノクロ写真が飾られています。
この写真は、裕福な子供たちに「明日は写真を撮るから、ちょっといい服を着てきなさい」と
言って撮った写真だとか…
実際は、毎日泥だらけになりながら、草履を履いてやっていたそうです。

今回、16時過ぎに無窮洞に到着したのですが、ボランティアの方がカギを開けて
説明をしてくださいました。
放置されていたこの防空壕を2年前(だったと思う?)に一般にも公開しようと
ボランティアの方々の助けによって、こうやって見ることが可能になったようです。
通常はカギがかけられていますので、事前に連絡がいると思います。
当日は朝から200名くらいが観光に来られ、もう終わりかなと思ったときに
私達が来たようです。それでも親切に対応していただきました。
本当にありがとうございました。

農作業?散歩?に来られていたおじさんが居たのですが
そのボランティの方が「この人は小学生のときに、土を運び出していた人」ですよ
と紹介していただきました。
この防空壕を実際に掘った人も、今では数名になったとか…

ここで、授業を行います。一番奥には教壇。
20091018_Mu02.jpg

教壇。
20091018_Mu03.jpg

調理場
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調理場
20091018_Mu05.jpg

通路
20091018_Mu06.jpg


最後に、
長崎に原爆が落とされたとき、ここは病院としても使われたそうです。
そのときも子供たちは、ずっとここを掘っていたそうです。
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コメント

非公開コメント

ビックリでした

結構軽いノリで見に行ったのですが、真実の迫力に当時の苦悩が感じられ、とっても反省し無窮洞を出ました。
ボランティアの方がいて説明していただきホントによかったと思います。
最初、「え~~~~!全部説明して回るの?」って思っちゃいましたけどね。(笑)
無窮洞を紹介していた0円マップ!
改めて見直し行きたいところを探してています。
(^o^)

ええ~ 佐世保にこんなトコが!?Σ(゚ロ゚ ノ)

じ・・地元なのに・・ _| ̄|○ うう

早速行ってみたいと思います。
あ・・でもちょっとコワいトコなのかな?(´∀`υ)
はい ひとりでいきますよ(笑)

To GATA

入場料が必要だったらどうしようかと思いました。
駐車場に着くなり、ボランティアの方が誘導して行きましたからね。
しかし、ボランティアも大変、よくできるなぁと思います。

To さとんさん

大丈夫。
ボランティアの方が居なければ入れませんから。
一人でも中を案内してくれます。
是非、行って話を聞いてみてくださいね。

戦争で被害に遭われた地域の皆さんはホントに苦労されたのでしょう。
こういうものも後世にキチっと伝えていかなければいけませんネ。
私も広島の原爆ドームと資料館を見た時に戦争の恐ろしさを再認識しました。
娘にも見せましたが見せてヨカッタと思います。(-_-;)

To だっくすさん

今の私達には想像もできない生活だったと思います。
私の小学校(一応、長崎県)のときは、夏休みの登校日で、
原爆の写真とか見せられたりしていました。
その光景は、今も心の中に残っています。
本当に後世に伝えていくことは大事ですね。

sora

のんびりツーリング From 福岡